掃除機の音が聞こえた瞬間、利用者が急に耳をふさいでうずくまり、「やめて、もうやめて」と繰り返す——生活介護や就労支援、グループホームの現場では、特定の音やにおい、ささいな出来事をきっかけに、利用者の様子が一変する場面に立ち会うことがあります。本人はうまく説明できず、スタッフ側も戸惑ったまま終わってしまうことも少なくありません。PTSD(心的外傷後ストレス障害)は、こうした反応の背景にあることが多い疾患です。本記事では、福祉現場でPTSDのある利用者と関わる際に押さえておきたい基礎知識と、明日から実践できる具体的な対応方法を、リスク管理の視点も含めて解説します。
PTSDとは何か——症状の4つの群
PTSDは、生命の危険や身体の安全を脅かすような出来事(事故、災害、暴力、虐待、DVなど)を体験・目撃した後に生じる精神疾患です。米国精神医学会の診断基準DSM-5-TRでは、症状は主に次の4つの群に整理されています。
- 侵入症状:フラッシュバック、悪夢、トラウマを想起させる場面での強い苦痛
- 回避症状:トラウマを思い出させる場所・会話・活動を避ける
- 認知と気分の陰性の変化:自分や他者への否定的な信念、孤立感、感情の麻痺
- 過覚醒症状:過度の警戒心、驚愕反応の亢進、不眠、集中困難
また、虐待やDVのように長期間・反復的なトラウマを経験した場合には、感情調整の困難や対人関係の障害を伴う「複雑性PTSD」として整理されることもあります(ICD-11で新設された診断分類)。いずれも本人の性格や気持ちの持ちようの問題ではなく、脳と身体に刻まれた反応であるという理解が、支援の出発点になります。
福祉現場で気づきたいサイン
侵入・回避のサイン
- 特定の音・におい・場面を極端に避けようとする
- 特定の話題やニュースに触れると急に黙り込む、または話題をそらす
- 周囲の声かけに反応しなくなり、視線が一点に固定されたようになる(フラッシュバック様の状態)
過覚醒・二次的な影響のサイン
- ちょっとした物音や人の接近に過剰に驚く
- 常に周囲を警戒しており、リラックスした様子が見られない
- 些細なきっかけで怒りが爆発する、または急に涙ぐむ
- 不眠や悪夢を訴える、日中の集中力・意欲の低下が続く
これらのサインは記録を積み重ねることで、「どんな場面で」「どのくらいの頻度で」症状が出やすいかが見えてきます。個人の記録は、本人の状態理解だけでなく、サービス等利用計画や個別支援計画の見直しにも役立つ情報になります。
トラウマインフォームドケアに基づく日常的なかかわり方
米国薬物乱用・精神衛生サービス局(SAMHSA)が提唱する「トラウマインフォームドケア」は、トラウマの影響を理解する(Realize)、サインを認識する(Recognize)、知識を統合した対応をする(Respond)、再トラウマ化を防ぐ(Resist re-traumatization)という4つの視点を軸にした関わり方の枠組みです。福祉現場でも、この考え方を日常の支援に取り入れることができます。
- 「安全である」という感覚を何よりも優先し、環境や人の変化はあらかじめ伝える
- 本人に選択肢を示し、自分で決められる部分を残す(エンパワメント)
- 予定や手順の見通しを具体的に伝え、急な変更を避ける
- 感情や反応を否定せず、まず受け止める非審判的な態度を取る
- 気づいたサインは記録し、多職種・家族と共有する
📋 実践のポイント:信頼関係を築く声かけ
「今日は何から始めますか、一緒に決めましょうか」のように、本人に選択肢と主導権を渡す言い方を意識します。「なぜそうなるんですか」と原因を問い詰めたり、急かしたりする言葉は避け、「そばにいますよ」「ここは安全な場所です」という安心を伝える言葉を優先しましょう。
フラッシュバック・不穏時の対応
侵入症状によって突然過去の場面に引き戻されているような状態(フラッシュバック)が起きた際、無理に落ち着かせようとしたり、断りなく体に触れて制止しようとしたりすると、かえって恐怖を強めることがあります。まず本人と周囲の安全を確保したうえで、「今ここ」に意識を戻す声かけ(グラウンディング)を行います。代表的な方法が、目に見えるもの5つ、手で触れられるもの4つ、聞こえる音3つ、においがするもの2つ、味がするもの1つを、ゆっくり本人と一緒に確認していく「5-4-3-2-1法」です。
📋 実践のポイント:フラッシュバック時の対応手順
①まず自分と周囲の安全を確認する。②落ち着いた低めの声で名前を呼び、「ここは〇〇(施設名)です。今は安全ですよ」と繰り返し伝える。③体に触れる前には必ず声をかけ、同意を得てから寄り添う。④少し落ち着いてきたら、水分を勧めたり、座れる場所へゆっくり誘導する。
PTSDの利用者にしてはいけない対応
よかれと思った対応が、症状を悪化させてしまうこともあります。次のような関わりは避けましょう。
- トラウマ体験について無理に聞き出そうとする
- 「もう終わったことだから」「気にしすぎ」など、感じ方を否定する言葉をかける
- 過度に腫れ物に触るような態度で接し、日常の関わりを避けてしまう
- 個々の状態を確認せず、全員に同じマニュアル対応を当てはめる
- 本人の同意なく、トラウマに関する情報を他の利用者やスタッフに共有する
家族への支援と多職種連携
家族もまた、日々の対応の中で疲弊し、二次受傷に近い状態に陥っていることが少なくありません。本人への配慮と同じくらい、家族へのねぎらいと情報提供も欠かせません。
📋 実践のポイント:家族への声かけ例
「ご家族も大変な中、よく支えてこられましたね」とまずねぎらい、そのうえで「こういう場面ではこう対応すると落ち着きやすい、ということが分かってきました」と、施設側で得られた具体的な情報を共有します。抱え込みを防ぐため、精神保健福祉センターなど外部の相談窓口も併せて案内しましょう。
利用できる公的支援・制度
PTSDと診断された場合、症状の程度に応じて次のような公的支援の対象になり得ます。
- 精神障害者保健福祉手帳:PTSDも対象疾患に含まれ、等級に応じた各種支援・割引を受けられる
- 自立支援医療(精神通院医療):通院にかかる医療費の自己負担が原則1割に軽減される
- 精神保健福祉センター:本人・家族が無料で相談できる公的窓口
- 犯罪被害者等支援制度:犯罪が原因のトラウマの場合、各都道府県の犯罪被害者支援窓口が利用できる
- 労災保険:業務に起因する事故・ハラスメント等が原因の場合、労災認定の対象になり得る
- 障害年金:症状により日常生活・就労に著しい制限がある場合の所得保障
これらの制度の利用可否や治療方針は主治医・専門職の判断によります。症状の悪化や希死念慮がうかがえる場合は、スタッフだけで抱え込まず、精神保健福祉士や医療機関へ速やかに相談してください。
まとめ
PTSDは、適切な理解と関わり方があれば、症状とうまく付き合いながら生活を続けていくことができる疾患です。福祉スタッフに求められるのは、トラウマを特別扱いすることではなく、「安全である」という感覚を日々の関わりの中で積み重ねていくことです。まずは今日の記録から、利用者がどんな場面で症状が出やすいかを整理し、チームで共有することから始めてみましょう。

